自分

親友を自死で亡くした話

今日はちょっと私の個人的な話を書こうと思います。

というかちょっと吐き出したい感じです。

目を閉じると親友のことしか浮かばなくてちょっぴりおセンチなのです。

よろしければお付き合いください。

「今まで友達でいてくれてありがとう。M実が亡くなりました」

僕とM実は2007年頃に病院で出会いました。
僕が先に入院していて半年後くらいに入院してきた子です。
同じような背景だったので親近感もさることながらホント仲間って感じでした。

聞きたくなかった訃報が届いたあの日の出来事は一生忘れることはきっとないです。

2016年3月某日の朝5時頃。iphoneのブブッという音で目覚め、メールを見た瞬間ぼくの時間は止まりました。
M実のお母さんから届いたメールに事態を飲み込めないというか何というか夢でも見てるようなそんな気持ちでした。
お通夜で会ったM実はいつも通りの寝顔というか「はよ起きや」って言ったら「んーおはよう」って目をこすりながら今にも起きてきそうでした。

お通夜の時にかかっていたBGM
back numberのSISTERとヒロインはいつ聴いても思い出して胸がキューーーっとなってしまいます。


僕とM実は当時一緒に過ごしていたおともだちを見送ってきた仲でもありました。
何人もの仲間が先にあちらの世界へ還っていく中で感じるストレスというものは、当時思春期真っ只中でちょっと重めの中二病を患っていた僕にとって(笑)それはそれはストレスだったようで次第におともだちが亡くなっても悲しまなくなりました。

正確には悲しめなくなったのかもしれませんが子どもなりに触れてはいけないようなそんな気がしていたのです。
”悲しむ”ってとても大切な感情です。

PTSD症状が出た

PTSD症状というのは大げさかもしれませんが回避が強かったと思います。
とにかく避けました。
1周忌の法要もご連絡を頂いていたのに行くことができませんでした。

3回忌でようやく行くことができたました。
心の整理は未だについていないというか、普段は大丈夫でも命日に近くなると不安定になったりします。

亡くなって1年が経った頃でしょうか。
考えることと言えばたらればばかり。

「僕が病気になってなかったら助けに行けたかもしれない」
この考えは自分をとことん苦しめました。
ただただ悲しみにくれる日々でした。

加えて、子どものころお友達が亡くなった時に悲しみを感じなかった自分に対して罪悪感を覚えるようになりました。
自分は悪人のような気がして毎日苦しかったです。

生き残ってしまった罪悪感

「なんで自分だけ生きているんやろう」
「自分だけ生きててごめん」

そんなことを考えるようになりました。

キューブラー・ロスの死の受容過程

割と有名だと思うのですがキューブラー・ロスの死の受容過程というものはご存知でしょうか。グリーフケアの第一人者と言われているドイツの精神科医です。

キューブラー・ロス先生は悲嘆を乗り越えるには5つの段階があるのじゃないかと考えられました。

否認

怒り

取り引き

抑うつ

受容

というプロセスなのですが今回のことを自分に当てはめると

否認→死んだわけがない

怒り→どうして自分から死を選んだんだ!

取り引き→僕が病気じゃなかったら助けることができたかもしれない。

抑うつ→悲しみに暮れる日々、罪悪感に苛まれる日々

受容→僕の命が終わってまた会えるまでしっかり生きていくよ

といった具合でしょうか。

しかし今でも受容と抑うつをいったりきたり受容と取引をいったりきたりしているような気もします。それだけ大切な人の死は受け入れがたい問題です。

前に進もう。そう思った出来事

ある日のこと。M実が亡くなってはじめて夢にやってきました。
ちょっとスピリチュアルな内容になってしまいますが書きます。

——-夢の話———

僕は病院のような薄暗い所で目を覚ましました。
ベッドには患者さん、看護師さんらしき人は廊下を歩いていました。
そしてある部屋をのぞくとそこにはM実がいたのです。

僕が食いつくように「生きてたんやったら教えてや!」というと、
M実は悲しそうな顔で「ごめん。それは言えなくて…」と言ったあとシーンが変わりました。

ぼくは必死でM実を探していましたがに会うことはできませんでした。
規則で教えることができないと言われても必死で探していましたが会うことはできず。。。

そうこうしている間にブザーのようなものが鳴りはじめ僕は必死で逃げました。
一番奥の部屋に行くとベッドに寝ている僕が居たのでかぶさるようにダイブしたところで目が覚めました。
なんか不思議な夢みたなぁ・・・というのが起きて一番の感想で

「この世で果たすべきミッションをクリアせずに自ら肉体を脱いだら、あちらの世界に行く前の世界でにこっちでやるべきだったことをしないといけない」
と感じたことが胸にストンと落ちました。
実際のところはわかりませんが、そんな気がします。

さいごに

気持ちの整理も兼ねて手紙を書こうと思います。

M実へ
M実が亡くなってもう2年半になるね。
ぼくは今日も生きているよ。
雨の日とか僕が外出る時間帯だけ晴れるけどあれはM実が助けてくれてるのかな。
あー雨や~って思ってても9割は止んでくれるからお空を見上げてありがとうって言うのが癖になりました。

時間が戻るなら戻ってほしい。いつだって会いたいよ。
だけどそれは不可能だから思い出を胸に前に進んでいくしかないんだなぁと思いつつ、会いたくて会いたくて震える夜もあります。西野カナです。笑

こんな僕を尊敬しているとか生きる希望だとか言ってくれたこと、本当に嬉しかったよ。ありがとう。今度はぼくが同じような子どもたちの力になるねん!とか言って看護大に受かった時は親より喜んでくれたしな。笑

2回生になってまたもや病魔にやられて死にかけていた時もほんま助けてくれたね。
何かあったらいつも電話してたからクセのようになってたのか、いつものように電話しようと思って電話帳開いて「あ、そうや。いないんや」って気づいたとき人生で一番泣いたよ。

あらゆる辛いことは経験してきたつもりやけど一番悲しかった。そしてさみしい。
ぼくはM実に与えてもらってばっかりで何か返せてたのか考えてたけどこんなことを言ったら私はマイトに与えてもらってたよってはにかんで言うんだろうなぁ。
常にずっと考えているわけではないけど、あなたはしっかり僕の心に居て一緒に生きている。そしてこれからも一緒に生きていくよ。
だから助けてね。頼むでほんま。

つらい気持ちをわかってあげられなくて、いつも話してくれてたのに最後の最後は話を聞くこともできなくてごめん。
あなたからのSOSをキャッチできず「今体調悪くてLINEもしんどい」と返事を送ってしまったことを心から後悔しています。
本当にごめん。助けてあげられなくてごめん。

だけど自分で終えると決めて逝ったのだから、後悔はしてないのかなぁと思ったりもします。

冷酷って思われるかもしれないけれど
今こころに浮かんでくるのは
「おつかれさま。もう苦しまなくてもがんばらなくてもいいね。本当によくがんばった!」
って言葉です。

ぼくはもうしばらくこっちで頑張るからまたいつか必ず会おう。
その日まで楽しみにしているよ。
本当に本当にありがとう。だいすきだよ。

僕の一番の家族だったM実へ。

2018.7.5